要点
세종실록地理志には양천현周辺の方角、距離、農業環境が記録されている。官衙は現在の가양동 239一帯にあったとされる。事実 마곡は先端開発地区になる以前、稲作を含む農業が行われた平野だった。
記録から位置を読む
《세종실록》は官衙から東11里、約4kmに양화도、西11里に김포、南15里、約6kmに금천、北1里、約400mに한강があると記す。事実 この方位と距離を現在の地図へ重ねると、官衙が가양동239一帯にあったという比定を理解しやすい。
地理志は土地の肥沃・痩薄が半々で、稲のほか粟、黍、稗、豆、高粱、小豆、緑豆、蕎麦などを栽培したと伝える。麻の栽培もあり、마곡という地名を麻と結びつける説明がある。事実
農地から研究開発地区へ
마곡一帯は서울で最後まで広い水田景観を残した平野の一つだった。現在の高層業務施設・研究施設を見ると、都市化以前の農業地帯を想像しにくい。先端都市という現在の機能だけで地名の歴史を始めない。
編集上の注意
마곡を初めから新都市だったかのように説明せず、農地から開発地区へ変わった時間を示す。