社稷洞・内資洞・内需洞は景福宮西側の小さな範囲にあるが、朝鮮王朝の首都を支えた異なる制度が重なっている。社稷壇では土地と穀物の神に国家祭礼を行い、内資寺は宮中の食料と織物、宴享を支え、内需司は王室が直接所有する財産と収入を管理した。後には近代女子教育と自動車道路が新たな層を加えた。約2.9キロを160分で歩けば、祭壇、官庁、学校、住宅、それらが支えた宮殿の見えにくい関係を理解できる。
0~45分:社稷壇大門から祭壇の方向と重層的な境界を読む
大門を通り、当日公開されている観覧路に従う。二つの方壇だけを急いで探さず、外側の塀、神門、祭礼準備区域がどの順番で人を動かしたかを見る。復元工事と公開範囲は変わり得るため、柵を越えたり閉鎖区域へ入ったりしない。
45~80分:社稷公園と社稷路で、毀損と復元の時間をともに見る
現在の緑地と広い道路は、朝鮮時代の姿がそのまま残ったものではない。日本統治期に国家祭礼が中断され、公園、道路、他の施設が入り、祭壇区域は縮小・分断された。現在の復元がどの時期の配置と建物を取り戻そうとしているか、現地説明で確認する。
80~120分:洪建翊家屋と培花学園で、20世紀の住居と教育を結ぶ
弼雲台路1キルの洪建翊家屋は、狭い斜面地に複数の建物、庭、井戸を配置した都市韓屋である。続いて培花学園の外周から、キリスト教宣教系の女子教育と近代学校建築を見る。現在も授業を行う教育施設なので、公開行事や明示的な許可がない限り校門内へ入らない。
120~160分:内資洞と内需洞で、二つの王室官庁を地名から復元する
景福宮駅方向へ下って内資洞の内資寺跡を確認し、さらに南の内需洞にある内需司跡の標石まで歩く。内資寺は国家財政の仕組みの中で宮中の食料・織物を供給し、内需司は王室の私有財産と収入を管理した。隣接する二つの街をつなぐことで、公的供給と王室私財の違いを空間として体感できる。