今の宝城の地は、百済時代には伏忽郡と呼ばれていた。「忽」という字は城を意味する言葉で、宝城の「城」もこれと関連があったと推定されるが、なぜ正確に「宝城」という二文字が選ばれたのかについての由来は明確に残っていない。 この地域が今の名前を得たのは757年(新羅・景徳王16年)のことである。景徳王は全国の地名を漢字式に整備する大規模な作業を行い、この過程で伏忽郡は宝城郡へと改称された。
こうして得られた名前は、その後も完全に固定されたわけではなかった。高麗・成宗15年(996年)には一時、貝州と改称され、刺史が派遣されたこともあった。しかしこうした変遷の中でも、「宝城」という名前そのものは結局生き残り、今日まで受け継がれている。地名の正確な由来すら明らかでないまま1300年近い歳月を耐え抜いたこの名前は、それ自体がこの地が経てきた時間の長さを物語っている。