公園名は旧キャンパスに育ったマロニエ、すなわち七葉樹に由来する。1975年の移転後、市民公園として野外舞台、休憩空間、彫刻、周辺芸術施設が結ばれた。一木の浪漫より、大学用地を公共文化空間へ転換した過程が重要だ。許可された行事と自発的公演が出会った 祭り、公共行事、アマチュア音楽、路上公演、キャンペーンが続いた。屋内劇場の切符がなくても舞台文化に触れられることが大学路の開放性をつくった。ただし現在の活動は日程と利用許可で変わる。広場は表現空間であり通路でもある 芸術だけでなく集会、署名運動、社会的発言も公園を使った。一方、恵化駅、病院、劇場を往来する人の日常通路でもある。観客は鑑賞の輪を広げて通行を妨げず、撮影前に出演者の意思を確かめる。公園の姿も繰り返し変化した 施設老朽化と利用変化に応じて整備・再造成された。現在の舗装、舞台、便益施設を1970年代の原形と考えない。古木、新施設、周辺建築がつくる時間の層を見る。