地図や地下鉄では東大門がなじみ深いが、門の扁額には「興仁之門」とある。朝鮮王朝は都城の大門に儒教的意味を込め、東門には「仁を興す」という名を与えた。一方、市民は方向がすぐ分かるよう東大門と呼んだ。四文字の名には風水的説明が加わった 他の大門より一字多い理由は、駱山の弱い地勢を補うため「之」を加えたという説明がよく知られる。ただし扁額だけで設計意図のすべてを断定せず、象徴と地形認識が城門にともに投影されたと理解する方が安全だ。甕城は東側防御を一重増やした 甕城とは門外を半円形に囲み、敵が正面から近づきにくくする防御壁である。興仁之門はソウルの大門の中でも門楼と甕城の関係を明瞭に見られる。撮影のため車道へ入らず指定歩行路にとどまる。生活地名は城門より大きくなった 東大門の名は駅、市場、ファッション商圏、行政区名にまで広がった。「東大門市場」も一棟ではなく鐘路区と中区にまたがる市場・商街の集合だ。名称拡大の過程を知れば、城門と商圏全体を一つの場所として混同しない。