光明の安養川は桜、照明、散歩道で知られるが、工業・生活排水の汚染を経験し、豪雨時には水を流す都市河川でもある。今の緑は下水処理、水質管理、生態復元が続いた結果で、手つかずの自然ではない。雨後の濁りやごみは変わり、一つの区間で複数都市にまたがる流域全体を判断できない。
公園は洪水空間でもある
低い道と運動場は平時の余暇空間だが、集中豪雨時には氾濫原となる。堤防、橋、排水口、閉鎖ゲートを比べ、雨後も規制線を越えない。奇亨度の詩板は霧を川へ戻すが、整備された現在の岸を幼少期と同一視しない。橋から次の橋まで歩き、自転車に譲り、野鳥へ近づかない。余暇、生態、通勤、防災が同じ幅で調整される過程が見どころだ。
両岸は別の自治体でも一つの生態系である。対岸のソウル衿川・九老の建物と交通も見れば、川が行政境界であり共同生活軸でもあると分かる。桜期は花壇へ入らず枝を引かない。長い線形公園なのでトイレ、水、日陰を先に確認する。