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駱山で読む築造・修理・復元の時間 · ⛰️

城壁の石は、すべて同じ朝鮮時代の石ではない

漢陽都城を一本の古い壁として見ると、最も興味深い手掛かりが消える。城壁は太祖代に最初に完成したが、崩れるたびに築き直され、世宗・粛宗期をはじめ各時代に工法と石の形が変わった。日本統治期の都市拡張、戦争、住宅建設によって失われた後、現代にも発掘、復元、整備が続いた。今見える城壁は、残存石材、後代の補修材、現代の補足がともにつくる記録である。

石の大きさと組み方が、工事の時代を示す

初期城壁には、比較的小さく自然な石を整え、隙間を埋めた区間がある。後代には、より大きく規格化された石を精密に合わせる区間が現れる。ただし、石一つの形だけで正確な年代を断定してはならない。現地解説と調査資料が区分した範囲を基準に比べ、修理中に石が移動した可能性も考える。

刻字城石は、昔の工事の責任表だった

一部の城石には、築城を担当した地域、監督者、技術者、日付などが刻まれる。太祖・世宗期には担当郡県名、朝鮮中期以降には監督官と責任技術者の名が記された例がある。巨大な国家事業が全国から動員された人と物資で行われ、区間別の責任を記録・確認したことを示す。

復元城壁も偽物ではなく、保存上の選択の結果である

原石と原位置が確認された区間、残存基礎の上に新石を補った区間、城壁線だけを現代材料で示した区間は意味が異なる。新しい石が見えるからといって誤った復元とは限らず、古びて見えるから朝鮮時代の原形とも限らない。城壁へ上ったり石の隙間を触ったりせず、材料の色、継ぎ目、案内板が示す復元範囲を見る。