FitTrip NOW
← この街の物語をすべて見る

梨泰院は「外国人街」になる前から道の結節点だった · 🛤️

梨泰院は「外国人街」になる前から道の結節点だった

梨泰院という名には複数の説明がある。官吏や旅人に宿と馬を提供した朝鮮時代の駅院に由来する説が代表的で、壬辰倭乱に結び付く説話も流通する。不確かな話を唯一の正解にせず、ここが城郭都市の南と漢江を結ぶ通路だった確かな地理から始めたい。

軍隊が変わってもサービス商圏は残った

朝鮮後期の軍事施設、日本植民地期の軍施設、解放後の米軍基地が龍山に順に置かれた。駐屯者が変わっても、兵士、軍属、家族、通訳、労働者には宿泊、食事、修理、娯楽が必要だった。梨泰院の国際性は軍事都市の不均衡な接触から蓄積し、一夜で観光ブランドになったのではない。

基地経済は機会と統制を同時に生んだ

戦後、米軍物資と外貨は多くの商人の生計を支えた一方、基地周辺の労働者、特に接客業の女性は差別、取締り、暴力の危険にも直面した。「米軍のおかげで繁栄」「退廃の街」という一文では生存の複雑さを説明できない。古い看板の奥にあった労働も見る。

基地移転で都市の記憶は初期化されない

龍山基地の返還と公園化は地域を再び変えるが、道路、家賃、商業網、評判は軍が去った瞬間に消えない。緑莎坪から梨泰院へ歩き、基地境界に沿う広い道と背後の狭い生活路地を比べる。