경성부は1933年、都心の埋葬地不足と墓地整理を背景に、망우리の山地を共同墓地として使用し始めた。事実 이태원共同墓地などから移された墓や、身元不明・無縁の遺骨も関係する。
自然に生まれた村の墓地ではなく、行政が都市の死者を周縁へ配置した場所だった点が重要だ。山全体に広がる墓域の密度が、その規模を伝える。
都市の死者を周縁へ移す政策
近代都市は道路・住宅・衛生管理を理由に、都心の墓地を整理し周辺山地へ移した。망우리共同墓地はその受け皿の一つであり、이태원共同墓地から移された無縁遺骨とも関係する。誰がこの場所を選んだかではなく、行政がどこへ死者を配置したかという視点が必要だ。
現在の市境感覚では망우리が서울の一部に見えるが、指定当時は都心から離れた周縁だった。山の斜面と交通条件が大規模埋葬地に選ばれた背景を地図で確認する。
現地で見るもの
- 入口から尾根へ広がる墓域
- 個人墓が狭い間隔で連続する区間
- 道路・散策路の整備前を想像させる急斜面