丘の巨大な灰色の崖は自然露頭だけではない。高さ約40メートル、長さ約200メートルの切断面は、大韓帝国期から日本植民地期までの採石結果とされる。近代ソウルの石造建築はこうした都心周辺の花崗岩を使った。石造殿の石という説明には範囲がある ソウル市の案内は徳寿宮石造殿を含む近代石造建物の相当数にここの石が使われたとする。ただし各建物の全石材が昌信洞産だと拡大してはいけない。華麗な外観の背後に採掘と運搬があったことを示す手掛かりだ。採石後、崖は生活の背景になった 戦後、避難民と地方出身移住者がソウルへ集まり、急斜面と採石場周辺にも家が建った。崖上下に密集する住宅は「異色の風景」である前に、住宅不足と自力建設の結果である。眺望より安全と私生活を優先する 公開展望空間と生活路地が混在する。崖端や立入制限区域へ入らず、屋上や窓を望遠撮影しない。運営状況や接近路が変わるため最新の公式案内を確認する。