狭い階段と小区画を「昔のソウル情緒」だけで消費すると形成背景を失う。朝鮮戦争後、住処を失った避難民と仕事を求めた人々が都心近くの斜面に定着した。限られた土地が細分化され、一部屋と狭い通路が増えた。家と職場の近さが生計を支えた 平和市場・東大門で働く人には、徒歩通勤や短距離運搬のできる住宅地だった。家の一角にミシンを置き、下階を工場、上階を住居とする例もあり、生産と生活が建物内で重なった。チョッパンは広さだけでは説明できない チョッパンは共同設備を伴うことの多い極小低家賃室を指す。換気、衛生、防火の弱さは都心アクセスと低家賃の代償だったが、隣人、市場、宗教・福祉施設の支援網も生活を支えた。貧困を美化せず、住民を欠乏だけで規定しない。路地踏査は住民観察ではない 洗濯物、開いた戸、配達物は私生活であり撮影素材ではない。公道でもカメラを家内へ向けず、階段では住民と配達員に道を譲る。歴史を読むことと現在生活を見物することは異なる。