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茶山丁若鏞の流刑と茶山草堂 · ⛰️

1801〜1818年(朝鮮)。流刑地で書かれた一冊の本が、朝鮮500年を通じて最も読まれた為政の教科書になった

丁若鏞を信任していた正祖が世を去ると、反対派の官僚たちの讒言を受けた丁若鏞は投獄され、流刑に処された。彼の流刑生活は1801年から1818年まで実に18年間続き、そのうち後半の11年ほど(1808〜1818年)を康津の茶山草堂で過ごした。「茶山草堂」という名前自体、もともとこの場所が茅葺きの粗末な家であったことに由来する。

皮肉なことに、官職を追われ、あらゆる権力を剥奪されたこの時期こそが、丁若鏞にとって最も旺盛な著述活動の時期となった。彼はここで、地方官が備えるべき心構えと統治術を記した『牧民心書』、国家制度改革案を記した『経世遺表』、刑事事件処理の原則を扱った『欽欽新書』をはじめ、実に500冊以上に及ぶ著作を残した。このうち『牧民心書』は、その後朝鮮後期の地方行政における実質的な指針書として広く読まれ、今日に至るまで、韓国において公職者のあるべき姿を論じる際に最も頻繁に引用される古典の一つとして残っている。権力から完全に排除された一人の知識人の流刑が、皮肉にも彼を朝鮮最高の実学者へと完成させたのである。