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小鹿島84人虐殺事件 · 📍

1945年8月22日(解放直後)。解放の知らせに自治を求めた人々が出会ったのは、交渉ではなく銃と刃だった

1945年8月15日の解放を迎えた小鹿島のハンセン病患者たちは、それまで自分たちを抑圧してきた体制から抜け出すため、自治を求めた。8月22日の朝、住民たちは交渉のために90人の代表を選び、送り出した。しかし、彼らを待っていたのは交渉の席ではなかった。武装した職員たちと動員された治安隊は、これらの代表を縛り上げたうえで銃で撃ち、あるいは槍で刺した。

90人の村の代表のうち84人がこの日命を落とし、生き延びたのはわずか6人だった。解放という名のもとに取り戻されるはずだった自由を求めたことが理由で、彼らはむしろ命を失うことになった。この虐殺は、小鹿島という孤立した島で起きたため、すぐには外部の世界に知られることはなく、翌年、1946年4月になってようやく世に明らかになった。この記述は確認された資料に基づいているが、死者数や経緯の詳細については、資料によって多少の差異がある可能性があることも併せて記しておく。