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朝鮮戦争と白鵝山 · ⛰️

1950〜1952年。ある紛争の最後の拠点だった山に、今は空中橋を渡ろうとする登山客たちの足が向かう

智異山と無等山を結ぶ地理的要衝であり、険しい山容を持つ白鵝山は、朝鮮戦争当時、朝鮮労働党全羅南道党本部と全羅南道パルチザン総司令部が置かれていた場所である。 仁川上陸作戦によって戦況が逆転し、窮地に追い込まれた朝鮮労働党全羅南道党は、この山へと退却し、以後この地域を中心に激しい戦闘が繰り広げられた。和順地域でのパルチザン活動は、中国軍が戦線で猛威を振るっていた1951年に最も激しい局面を迎えたが、その後戦況が膠着し外部からの補給が途絶えると、次第に苦境に陥っていった。

真実・和解のための過去事整理委員会の調査によれば、1950年8月から1952年4月までの間、パルチザンによる民間人被害は、届け出のあった犠牲者だけでも100人余りに上ることが確認されている。後方地域のパルチザン討伐のために創設された第11師団は、1950年10月から本格的な討伐作戦を展開し、翌年3月末の最終討伐期まで和順地域の作戦を主導した。この時期の民間人被害は、パルチザンによる被害と討伐過程で生じた被害の双方を含み、地域社会に深い傷跡を残しており、その正確な全体規模については今も調査が続けられている。 今、白鵝山の頂上付近には「空中橋」という名の橋が架けられているが、この橋は観光施設であると同時に、この山が抱える戦争の記憶を呼び起こす場所でもある。