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咸羅村の三富豪家 · 🏘️

日本植民地時代。おおらかさで知られた富豪の村

咸羅村には、日本植民地時代に「万石꾼」と呼ばれるほどの富を築いた三つの家が、一つの村に集まっていた——趙海英家屋、李培源家屋、そして金炳淳古宅(旧金安均家屋)である。李培源の父・李錫淳は、もともと臨陂に住んでいたが咸羅に移り住み、麹(こうじ)を売って草葺きの家を構えたのが始まりで、その後は弟とともに商売で財を成した。一方、趙氏一族は代々咸羅に根を張ってきた土着の家柄で、高宗の時代に泗川郡守・井邑郡守を務めた趙翰基が、その家の礎を築いたとされる。

この三つの富豪家をめぐって、今も語り継がれている話がある——「三富豪家のあまりの人情の厚さゆえに、かえって咸羅の人々は怠け者になった」というものだ。植民地時代の他の地主層がしばしば搾取と結びつけて記憶されるのとは対照的に、この村には、富豪たちの寛大さがかえって村人たちに怠惰をもたらしたという、いくぶん逆説的でありながらも温かみのある話が口伝として残っている。 今もこの三つの家屋が同じ村の中に並んで残っており、植民地時代の地方有力者層の暮らしぶりを、一か所で見比べることができる珍しい場所となっている。