聖堂浦口村は、朝鮮王朝時代に税米(国に納める穀物)を保管していた倉庫「聖堂倉」があった場所だ。地方で集められた穀物を都まで運ぶ漕運船が、ここまで出入りしていた。近くのウンポにある「コムゲ渡し場」という名は、渡し場の地形がまるで熊(コム)が錦江の水を飲んでいるような形をしていることに由来すると伝えられている。
この一帯は朝鮮後期、商業と手工業の発展とともに大いに栄えた港だった。しかし、日本植民地時代に鉄道が敷かれると状況は一変した。物資の輸送手段が水路から鉄路へと移ると、渡し場の水運としての機能は急速に弱まり、ついにこの渡し場は閉鎖されてしまった。長らく忘れられた存在だったこの渡し場が再び知られるようになったのは2009年、文化体育観光部の公共デザイン事業によって、生態河川の整備、渡し場の復元、散策路の造成が行われてからだ。今では西海岸七大夕日名所の一つに数えられるほど知られた観光地になっている。かつて税米を積んだ船が行き交っていたこの場所で、今はカメラを手にした人々が夕日を待っている。