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仁寺洞・益善洞 · 🏘️

益善洞の韓屋は王室邸宅の残骸ではなく、近代の住宅商品だった——鄭世権と都市型韓屋

益善洞の低い屋根を見ると、朝鮮時代の村がそのまま残ったように思いやすい。この一帯には哲宗の父に関わる私邸・祠堂の楼洞宮があり、古い路地の痕跡も残る。しかし現存韓屋群の重要な形成期は日本統治期だ。不動産開発業者の鄭世権が宮家敷地と周辺地を買い、小区画へ分け、中小型韓屋を建てて販売または伝貰に出した。

都市型韓屋は限られた土地に近代生活を収めた

都市人口が増えると、大庭と複数の付属棟を持つ上流住宅をすべての土地に再現できなかった。益善洞韓屋は狭い敷地に母屋、入口、小庭を圧縮し、隣家の壁と路地を密接に合わせた。伝統材料と空間原理を使いながら、上下水道、ガラス窓、生活動線など当時の都市需要に応じて変化した。

北村と益善洞の韓屋は同じ社会背景ではない

北村にも近代都市型韓屋は多いが、宮殿間の大邸宅と権力層居住の記憶も残る。益善洞はより小さな敷地と高密度で、庶民・中間層向け住宅供給の性格が強い。一つの「両班韓屋村」イメージでまとめず、敷地、路地幅、門と庭の関係を比較する。

保存は外観を固定することだけではない

韓屋は人が住み、直し、維持する建築だ。屋根線だけ残して内部を全撤去したり、複数棟を一つの大型店舗へ統合したりすると、路地の居住構造が変わる。一方、商業利用が修理費を生み、撤去を防ぐ場合もある。どの部材・敷地・生活機能を残すのか具体的に見る必要がある。