FitTrip NOW
← この街の物語をすべて見る

木浦 · 📍

1597〜1598年、そして1904年以降。植民地官僚が、朝鮮最後の抗戦拠点に綿花を植えた

鳴梁海戦の後、李舜臣は部隊を古下島に移し、艦隊を再編するために108日間そこに留まった。木浦の狭い近海に浮かぶこの小さな島は、水軍を立て直し次の戦いに備えるのに適した地形だった。今も島には彼の陣営の痕跡と、その滞在を記念する史跡が残っている。

しかし同じ島には、まったく異なる時代の歴史も重なっている。1904年、木浦駐在の日本領事だった若松兎三郎の主導により、アメリカ産の品種を含む約10種類の綿花の種がこの島で試験栽培された。結果は良好で、古下島は朝鮮半島において「陸地綿」——在来種とは異なる改良品種——の栽培が初めて成功した場所として記録に残ることになった。 この1904年という年は、1910年の日本による正式な韓国併合よりも前の時期にあたるが、ここから始まった栽培計画は、その後、朝鮮総督府による組織的な綿業政策へと直接つながっていく——1936年には木浦公会堂で「朝鮮綿業大会」が開かれるほどの規模になっていた。 かつて朝鮮水軍最後の抗戦拠点だった土地が、およそ300年後には植民地綿業政策の出発点になったというわけだ。同じ土地が時代によって正反対の役割を担ったという事実は、ひとつの島の歴史も決して単純ではないことを教えてくれる。今日この島を訪れる人の多くは、海の上に浮かぶ全長120メートルのガラス張りの遊歩道「スカイウォーク」が目当てだ——足元を波が透けて見える、木浦屈指のフォトスポットである。しかし、足の下に眠る二層の歴史を知って歩けば、その散歩の重みは変わってくる。