1597年、文禄・慶長の役(丁酉再乱)のさなか、李舜臣はわずか12隻の船で日本の大艦隊を打ち破り、鳴梁海戦という朝鮮海戦史上屈指の大勝利を収めた。しかし勝利は補給問題を解決しなかった——彼の部隊は依然として深刻な兵糧不足と兵力不足に苦しんでいた。地元に伝わる話によれば、李舜臣は儒達山の麓にある岩を藁で覆わせ、遠目には巨大な米俵の山に見えるよう偽装させたという。さらに近隣の女性たちに手をつながせ、伝統的な輪舞「カンガンスルレ」を踊らせることで、遠くからは山が兵士でびっしり埋め尽くされているように見せかけたと伝わる。この岩が、今日「露積峰」——文字どおり「野ざらしに積まれた(米の)山」——と呼ばれている場所だ。
これは正式な軍事記録に残る戦闘の記録というより、木浦地域で口伝えに語り継がれてきた話に近い。 ひとつ補足しておきたいのは、「岩を米俵の山に見せかける」という同じ型の伝説が、木浦の儒達山だけでなく、近隣の海南郡・玉埋山にも伝わっている点だ——これは木浦だけに固有の物語というより、李舜臣にまつわる、南海岸一帯で場所を変えながら語り継がれてきた民話の類型と見るのが妥当だろう。 それでもこの話がここまで生き延びてきたのには理由がある——正面から勝てない相手には、敵の目を欺いて時間を稼ぐという発想そのものが、繰り返し語り継ぐ価値のある物語だったからだろう。2018年には、この421年前の欺瞞戦術が木浦の地域の祭りとして再現されたこともある。今、露積峰の前に立てば、ただの平凡な岩山にしか見えない——しかし、疲弊しきった侵略軍がこれを本物の米俵の山と見誤ったかもしれないと想像してみれば、その光景は違って見えてくる。