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明洞・小公洞 · 🎭

戦後の芸術家は劇場と茶房の間で明洞をつくった——明洞芸術劇場と文化人

現在の明洞芸術劇場は、外観だけを見ると植民地期の劇場が同じ機能をそのまま継続したように思える。この場所には1930年代、日本人観客を主対象とする劇場が建てられ、解放後は市公館として使われた。国立劇場も一時期ソウル市と建物を共同使用した。その後、金融機関に転用され、復元・整備を経て2009年に再び劇場として開館した。

明洞はかつて韓国舞台芸術の中心だった

戦後ソウルで、市公館と国立劇場は演劇、唱劇、舞踊、音楽が観客と出会う重要な場だった。唱劇とは、韓国の語り物音楽パンソリを基盤に発展した舞台形式である。戦争で施設が不足するなか、一つの劇場が多くのジャンルと団体を受け入れた。劇場史は創設年だけでなく、どの芸術家がどの条件で舞台に立てたかを見ると立体的になる。

茶房と音楽鑑賞室は非公式の仕事場だった

ドルチェ、銀星、喝采などの茶房・音楽鑑賞室、画廊、酒場の名は明洞文化史の回想にたびたび登場する。文人、画家、俳優、記者は原稿と公演を語り、仕事と評判を交換した。しかしすべての文化人がロマンチックに暮らしたわけではない。貧困、不安定労働、性別による役割差も華やかな逸話の背後にあった。

消えた場所は表示と記録から読む

かつての有名茶房の多くは原形を残していない。現在の店舗に入り過去の痕跡を求めて営業を妨げるより、古地図・写真と現在の住所を比較する。文化の記憶は建物の保存だけでなく、作品、回想、公演記録、人間関係を通じて続いていく。