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広寒楼苑 · 🏛️

1419〜1461年。流罪となった官吏が建てた小さな楼閣が、韓国でもっとも有名な恋物語の舞台へと育った

広寒楼苑の始まりは、決して華やかなものではなかった。1419年、朝鮮世宗元年、後に朝鮮を代表する名宰相として名を残すことになる黄喜が、流罪の身であった時期に建てた質素な楼閣「広通楼」がその起源である。流刑地で山水を楽しむために建てられた素朴な東屋にすぎず、今日の壮大な規模とはかけ離れたものだった。

この楼閣の運命が変わったのは、それから25年後のことだった。1444年、朝鮮世宗26年、学者官僚の鄭麟趾がこれを「広寒楼」と改名した。玉皇上帝が住むとされる月の宮殿「広寒清虚府」にちなんだ名である。1461年には、張義国という人物が蓼川の水を引き、楼閣の前に天の川を象徴する大きな池を掘り、牽牛と織女の伝説にちなんだ烏鵲橋を架けた。天の川を象徴する池と、その上に架かる橋が完成したことで、広寒楼は単なる楼閣を超え、一つの宇宙を内包する庭園となった。朝鮮後期、まさにこの場所を舞台として、李夢龍と成春香が出会う物語『春香伝』が書かれた。今日、広寒楼苑は1963年の宝物指定から63年を経た2026年7月、国宝へと昇格した。流罪となった官吏が質素に建てた楼閣は、いくつもの王朝の変遷を経て、韓国人がもっとも愛する物語の舞台へと育っていったのである。