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蛟竜山城 · 🏯

1860〜1894年。宗教の創始者が身を隠した山城が、30年余り後に農民軍の拠点になった

百済時代に築かれたと伝わる蛟竜山城は、標高518mの蛟竜山を取り囲む、全長3.1kmの山城である。この山城が韓国近代史に初めて登場するのは1861年、東学を創始した崔済愚が、官憲の監視を逃れてこの地の隠跡庵に身を隠したときだった。崔済愚はここに滞在する間、東学の核心的な教理を記した著述を執筆した。一つの宗教の思想的基盤が、官憲の目を逃れて隠れ潜んだ山城の庵で完成されたことになる。

それから33年後の1894年、この山城はまったく異なる役割で再び歴史に登場する。東学農民革命が全国を席巻していたその年の6月、農民軍の指導者・金開南が南原に入城し、執綱所を設置して全羅左道一帯を掌握した。金開南の部隊は、かつて崔済愚が隠れ住んだまさにその蛟竜山城に駐屯し、7月中旬には数万人の東学信徒が集まった「南原大会」を開いて、農民軍の勢いを全国に知らしめた。山城の中には、東学軍が戦いを前に無事を祈り、敗北の後には犠牲者を弔った祭壇の跡が今も残っている。一人の人物の思想を密かに守り抜いた山城が、一世代後にはその思想を掲げた大規模な蜂起の拠点となったのである。