昭格洞は漢字で「昭格洞」と書き、その名は朝鮮王朝の昭格署に由来する。昭格署は天や星、さまざまな神格を対象とする道教儀礼「醮祭」を行った。朝鮮を王室祭礼と性理学だけで理解しがちだが、国家運営には仏教・道教・民間信仰から続く儀礼も共存した。昭格署はその複合性を示す官庁だった。
昭格署は王室と国家の安寧を祈る儀礼機関だった
官員と道流は定められた手続きに従って祭壇を管理し、儀礼を準備した。天文や星座、災害と吉凶を関連づけた当時の世界観では、国家の安寧を天に祈ることは政治から切り離された私的信仰ではなかった。王室が人員と祭具を用意した事実は、国家が複数の信仰体系を実務に用いたことを意味する。
趙光祖の廃止要求は、正統な国家儀礼をめぐる政治論争でもあった
中宗代、趙光祖ら士林は昭格署が性理学的国家秩序に合わないとして廃止を求め、1518年に廃止が決定された。しかし政治状況の変化によって再設置されるなど、存廃は繰り返された。これを「科学が迷信に勝った事件」と単純化すると、どの儀礼を国家の正統と認めるかという権力と思想の問題を見失う。
遺構が見えないほど、正確な位置を断定しない
昭格署の建物は現存せず、かつての区域も現在の地番と一致しない。昭格洞の特定の店や路地を根拠なく「祭壇の正確な跡」と紹介してはならない。案内板と研究資料からおおよその範囲を理解し、地名そのものが消えた官庁を記憶する最も長く続く記録であることに注目する。