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清海鎮と張保皐 · 📍

828年(新羅興徳王3年)。海賊防備の軍事拠点が新羅・唐・日本を結ぶ海上拠点となった

張保皐はもともと新羅の沿岸地域の出身である。若い頃、友人の鄭年(チョン・ニョン)とともに唐へ渡り、徐州(じょしゅう)に駐屯する武寧軍(ぶねいぐん)で中小将という地位にまで昇った。その後新羅に帰国した彼は、唐の海賊が新羅の民を捕らえて奴婢として売り飛ばしている実情を目の当たりにし、これを根絶するための軍事拠点を築くことを興徳王に願い出た。王はこれを許可し、828年(興徳王の治世3年目)、現在の全羅南道莞島郡の将島に清海鎮が設置された。

清海鎮は、海賊の防備と航路の安全を担う軍事・海上拠点として出発した。張保皐はここを基盤に、新羅・唐・日本を結ぶ交易網と在唐新羅人社会に大きな影響力を及ぼした。ただし「東アジアの海上貿易を独占した」「交易帝国を築いた」という表現は、影響力を強調する後世の修辞であり、確認可能な市場占有率を示す事実ではない。軍事・交易・外交の機能を兼ねた強力な海上拠点と説明するのが正確である。

1991〜2001年の発掘では、版築城壁、建物跡、井戸、海岸の木列、接岸施設と解釈されるコの字形石築が確認された。莞島郡は約3万点の遺物、約890メートルの城壁、331メートル範囲の木列を紹介している。これは人員・船舶・物資を管理した実在の拠点を示すが、後世の「海上帝国」という表現すべてを証明するものではない。水路、干潟、防御遺構を張保皐記念館の出土品と合わせて読み、工事や潮位による入場変更は直前に確認する。

将島だけを清海鎮の交易網全体と同一視することも避ける。将島本営、近隣の法華寺址、唐や日本へ伸びた航路は関係するが、場所ごとの証拠は異なる。現地の発掘資料が示す範囲と、文献が説明する広域ネットワークを区別する。潮位や工事で入場方法が変わり得るため、莞島文化観光の最新告知を確認する。