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弥勒寺址 · 🛕

639年頃。寺院自身の基壇から掘り出された遺物が、千年語り継がれてきた恋物語を覆した

弥勒寺址は、東アジア最大級とされる百済時代の仏教寺院跡だ。創建説話はこうだ——百済の武王と王妃が獅子寺へ向かう途中、池から弥勒三尊が現れるのを目にし、これを祀るために弥勒寺を建てたという。この王妃は長らく、敵対する新羅の善花公主だと信じられてきた。「薯童謡」という郷歌がこの物語を裏づける——少年時代の武王(当時の名は薯童)が新羅の王京にひそかに入り込み、「善花公主は夜な夜な薯童とこっそり会っている」という歌を子どもたちの間に広め、その噂のせいで宮中を追われた善花公主を、結局は妻に迎えた、という話だ。

ところが、この寺院自身が、その古い伝説を覆す証拠を内に秘めていた。国宝「益山弥勒寺址石塔」は、1998年の安全診断で内部がコンクリートで満たされ構造的に不安定であることが判明し、2001年から全面的な解体・修理に入った。そして2009年1月、解体作業中に塔の中から金銅製の舎利奉迎記が発見されたのだが、そこに刻まれていた記録は予想外のものだった——塔が建てられた当時、武王の王妃は善花公主ではなく、百済の貴族出身である沙宅王后だったというのだ。千年以上語り継がれてきた新羅の公主とのロマンスが、その恋の証とされてきた寺院自身の遺物によって揺らいだというわけだ。石塔はその後も修復作業を続け、2019年4月、解体決定から20年を経てようやく再び立ち上がった。今、弥勒寺址に立ってこの話を思い出せば、伝説と考古学的事実の間の緊張関係が、この廃墟の上にそのまま重なっていることに気づくだろう。