世宗は宮殿で生まれた王ではない。『世宗実録』は1397年、後の太宗・李芳遠の三男として漢陽俊秀坊の潜邸で生まれたと記す。俊秀坊は現在の通仁洞・孝子洞周辺と推定されるが、家の正確な位置や形を確定できる建物はない。
王子の家と王の宮殿
誕生時、父の李芳遠はまだ王ではなかった。出生地は王宮でなく即位前の家族が住む私邸だった。この事実は宮殿中心の王室史を街の路地へ引き出す。
標石ができること、できないこと
紫霞門路付近に出生地を知らせる標石があるが、特定の韓屋を生家の原形とは見なせない。標石は正確な一室より、この一帯が王の幼年期とつながる歴史的範囲を記憶させる。
ハングルより先に街を見る
世宗をハングル創製だけで記憶する前に、景福宮西側の生活圏に生まれた一人として想像したい。市場と路地を歩き宮殿の塀を見ると、王室史も日常の地理から始まったと分かる。