ピマッコルとは「馬を避ける路地」という意味だ。鍾路の大通りで馬に乗った高官に出会うたび、道端にひれ伏して礼を尽くさなければならなかった人々は、初めから裏道を選んだ。その道にクッパ店、居酒屋、旅館、喫茶店が並び、鍾路の庶民の生活圏が形成された。権力を避けるための動線が、一つの商業地区になったわけだ。
路地は一度に消えたわけではない
ソウル未来遺産の資料によると、1974年の地下鉄1号線工事で南ピマッコルが消滅し、2003年の都心再開発では約20店舗が閉店した。清進洞の老舗飲食店の一部は、新しい高層ビルの一角へ移転した。名前と店は残ったが、路地の幅、低い屋根、向かい合っていた店舗同士の関係は変わった。古い店を新しいビルへ移すことが、そのまま路地を保存することになるのかという問いが残る。
2026年、鍾路の裏路地が地下から戻ってきた
2026年7月、鍾路2街の旧ピマッコル跡地に仁寺都市遺跡展示館が正式開館した。公平区域の発掘現場4,810平方メートルを現地で復元した展示館で、16世紀の鍾路にあった市廛、ピマッキル、店舗、排水路の配置を見下ろすことができる。地上から消えた路地を、地下の元の場所でそのまま読み取れるようになったのだ。
訪れる際に何を区別すべきか
現在「ピマッコル」の看板が付いているすべての区間が、昔の路地そのままというわけではない。残存する路地、整備して再現した道、建物内へ移転した飲食店、発掘後に保存された遺跡が入り交じっている。そのいずれかを偽物として退ける必要はない。ただし、それぞれ異なる保存方法であることを理解して歩いてこそ、この路地が経験した変化が見えてくる。