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忠愍祠 · 🛕

1601年。李舜臣を祀る祠堂は、統営でも牙山でもなく、ここ麗水で最初に建てられた

文禄・慶長の役が終わって3年後の1601年(宣祖34年)、後に領議政となる李恒福が王命を受け、水軍統制使の李時言に命じて李舜臣を祀る祠堂を建てさせた。祠堂が完成すると、当時左議政を務めていた金尚容が宣祖に名を下賜するよう願い出て、宣祖自らが「忠愍祠」という名を木の扁額に刻んで下賜した。これは、国家が公式に李舜臣を顕彰し、その祠堂に名を下賜した最初の事例であった。

忠愍祠が持つ意味は、単なる「最初」という称号にとどまらない。忠愍祠(1601年)は統営の忠烈祠(1606年創建)より早く建てられ、牙山の顕忠祠(1706年創建)よりは約100年以上早い。つまり、李舜臣を国家的英雄として崇める伝統は、彼が最後まで指揮を執った統営でも、故郷に近い牙山でもなく、戦の準備をした最初の拠点であるこの麗水で始まったということだ。忠愍祠には李舜臣を中心に、露梁海戦で共に戦死した李億祺と安興国が左右に配祀されている。今日、李舜臣を祀る祠堂や遺跡は全国各地にあるが、その顕彰の伝統すべての起点は、ここ麗水・熊川洞のこの場所にある。